第11回
2019/6/10
放送
マゴノテミッケ<川棚町>
マゴノテの長崎ミッケはこちらからもお聞きいただけます
今福さんが「あの人たち誰なんだ」とよく言われるみたい。
なので、今回は特別回です。僕らマゴノテの話をします。
遠くをみると霞んだ山々。こちらに近付くにつれて、
だんだんと色が現実味をおびてきて、
ついそこまで来ると、青々とした山が香ってくる。
そこを分け入るように川が流れている。
そこにぞろぞろと4人がやってきて、
長崎ミッケの旗の黄色がどかどかと景観に踏み込んでいったのです。
ほら真っ赤なてんとう虫も僕らの話を聞きたがってるよ。
さてマゴノテは僕と古藤くんの二人のユニットです。
福祉施設でイベントをしたり、体験型のコントを披露したり、
【孫のような存在】を目指して立ち上がりました。
ほら孫って変なことしても許されるじゃないですか。
もっとさかのぼると、出会いは同志社大学のお笑いサークル喜劇研究会です。
学年でいうとこういう順番になっています。
・西垣(一番うえ)
・古藤(一つ下)
・重光(二つ下)
・今福(全然知らんヤツ、最近知り合った)
僕ら所属していたサークルは、
さらば青春の光の東口くん、そしてカズレーザーを輩出しています。
学年でいうと
・西垣(一番うえ)・カズレーザー
・古藤(一つ下)・東口
・重光(二つ下)
・今福(誰やねんコイツ)
となっております。
カズレーザーと東口は当時コンビを組んでいた時期もあり、
そのときは、寄席に出るとドカンドカンと笑いをとっていました。
学生時代は僕と古藤くんは、それぞれ一人で舞台にたっていました。
古藤くんは「アイスの棒に当たりと書いてあると思ったら山田と書いていた」
というコントを披露し、
僕は「のりたまのふりかけを財布にしているヤツ」
というお話を上演していました。
彼らに勝てるはずがないのです。
ということで僕と古藤くんは、天才喝采、というこじらせまくったコンビを結成するのです。
コントにすると、また、はちゃめちゃになるということで漫才を練習し始めました。
夜、授業が終わったあと食堂の窓ガラスにうつる自分たちを見てネタを練習する日々でした。
となりではいけてるダンスサークルがレッスン。
目指すはM-1です。たった一回戦通っただけなのにサークル員がお祝いしてくれたのを思い出します。
そして将来どうするんだという話になってきます。
カズレーザーは大学時代からあの風貌で、お笑い芸人になるのを決めていました。
僕はお笑いをやりたかったので、古藤を誘おうかなと思っていました。
けど一つ下なので、卒業を待とうかなと思っていると、古藤が留年したりして、
あせる僕は、一人でライブをしたりして、少し疎遠になった時期でした。
カズレーザーは一人で東京に、古藤と東口は一緒に、関西のお笑いの専門学校に行きました。
僕はそのころは勝手に大学生のフリして学生ホールを借りて二ヶ月に一回くらいライブをやるだけなので、どうしようかなと思っていました。
じゃあ僕も古藤と同じ専門学校行くかな、ということで行きました。
大学の先輩である僕がそこでは後輩でねじれた関係になっていました。
あ、そういうえばそこには重光くんもいました。
重光くんは男前の同級生と「ストレートフラッシュ」というコンビ名のなんともモテそうな漫才をしていました。
それが評価されて、お笑い専門学校からスカウトされてました。重光くんだけが大学生でした。
大学出たての世間知らずの井の中の蛙の僕たちかなうはずもなく、
それぞれ解散したりやめたりしていました。古藤も何年かしてやめて就職し、重光くんは新卒で就職しました。
僕はと言えば、まだぷすぷすと不燃している思いがあって、東京に行きます。
東京のインディーズライブに出たりしていました。でこの頃から、書くの楽しいなと思っていました。
僕は東京で古藤に電話したりしていました「東京来たら売れるよ、面白いよ」と。
つってもまだ24歳くらいなんで、バイトバイトバイトライブバイトみたいな日々でした。
上京して間もない頃に、母親の病気が発覚します。余命いくばくもないと。
ということで僕は実家の和歌山県に帰り母親の看病をしていました。
半年弱の間、母親のそばにいる生活だけで、お笑いのことなど全く考えもしませんでした。その日一日の思いを胸に抱えるだけで手一杯でした。
で、母親が亡くなり、さて公務員勉強しようと和歌山で就職する気でした。
そしてふと大学時代のことを思い出し、ヨーロッパ企画、と検索したのです。
ヨーロッパ企画とは同志社小劇場を出身とするコメディ劇団です。
僕が在学中からヨーロッパ企画は劇が映画化されるなどで有名でした。
彼らのHPにディレクター募集の文字が目に飛び込んできました。なにやら自主でテレビをつくるらしいのです。
それがカメラも持ったことのない僕が、再び芸能の仕事をするきっかけでした。
ヨーロッパ企画は特殊な劇団で、ものづくりに垣根がありませんでした。僕はテレビ番組を作ったり、ドラマを書いたり、ヨーロッパ企画の内部ユニットの劇に役者として出演し、京都・大阪・東京といっちょ前にツアーを回ったりしていました。
するとまた古藤に電話しました「京都面白いよ、仕事やめて役者やりなよ」
そして、そそのかしマゴノテを結成するにいたりました。今から4年くらい前ですかね。
で、このたびご縁をいただいて、長崎を盛り上げたいという想いから僕らに白羽の矢が立ったのです。
というのを長々とすみません。全部言わなきゃ意味分からなくなるかなと思って、書かせていただきました。
始まりはサークルですし、お聞きの通り本当にとてもゆるい二人でマゴノテが出来ています。何か楽しめるものはないかと嗅ぎ回っている2人なので、こういう地元の人も知らない観光スポットを発見する、というような番組になったのです。
驚くことに僕らと同じようにNBCラジオで
さらば青春の光もラジオをやっています。
やっと僕らに追いついてきたかという感じです。
NBCラジオで番組をもてるようにカズレーザーももっと頑張って欲しいです。
あの赤いてんとう虫は、僕らが悪口を言わないか見張っていた、
カズレーザーの使いだったのだろうか。